横断型科学技術の重要性を主張する

木村 英紀

週刊エコノミスト2002年5月21日号掲載 (毎日新聞社)


昨年末計測自動制御学会など12の学会*)は、会長の連名で「横断型科学技術の重要性」を訴える提言を総合科学技術会議の桑原洋議員ほか有識者議員に提出した。提言の全文は計測自動制御学会のホームページ(http://www.sice.or.jp/)に掲載されている。現在「提言」に賛同する学会は文科系を含めては25学会に達し、これらは新しい学会の連合組織を模索している。「提言」の背景には以下で述べるような現代技術への認識がある。

1.武谷テーゼへの疑問

自然科学と技術の関係についてはさまざまな議論がある。欧米では技術は道具や芸術との関連で語られることが多いが、わが国では技術を自然科学と関連付けて論じる傾向が強い。おそらく欧米の技術が自然科学と同時にわが国に入って来たということと無関係ではない。ちなみに総合大学に工学部を作ったのは世界でわが国が最初である。
「技術とは人間実践(生産的実践)における自然法則の意識的適用である」と述べたのは理論物理学者で戦闘的なマルクス主義者でもあった武谷三男氏である(武谷三男、1947)。正確には「自然法則」ではなく「客観的法則性」という言葉が使われているが、両者は同じであるという武谷氏自身の注がある。この技術の「定義」は武谷氏が太平洋戦争末期に危険人物として特高警察に逮捕拘禁されたときの「調書」に記されている。簡潔な引き締まった表現のスタイルとその出自の特異さから、「武谷テーゼ」は戦後長い間意欲的な技術者のモラルコードとなり、技術を自然科学に結び付ける議論のプラットフォームとなった。
「武谷テーゼ」をそのまま読むと、現代の技術は自然科学の応用ということになる。それを裏返せば「技術の基礎は自然科学にある」ということになる。このような見方をする人は今でも少なくない。特に自然科学者には多く、わが国で「基礎研究」と言えば自然科学とその周辺の研究を暗黙のうちに意味していることが多い。このように技術を捉えると20世紀後半の技術が切り開いて来た地平を見落とし、21世紀に向けて技術が進んでいく方向を見誤ることとなる。自然科学は技術にとってもちろん重要であるが、自然科学で成果が上がりさえすれば技術のレベルも上がると考えるのは誤りである。

2.技術の外延と内包

自然が持つ可能性を人間の側に獲得することは技術の使命である。しかし同時に人間が作り出したさまざまのモノの価値を高め社会にもっとも有意義な形で還元することも技術の重要な役割である。前者は技術が自然に向ってその外延を広げることであり、後者は技術の内包を高めることである。
土器の製作は人類のモノつくりの能力がはじめて全面的に花開いた最初の「産業」と言われている。土器を使って人類は木の実や葉を調理したり保存したり出来るようになり、人類の食生活は大変豊かになった。土を選び火力を調節し適当な強度を持つ土器を速く作る技術は外延にかかわり、一方、土器を使う動植物のさまざまな調理法保存法を開発するのは内包にかかわる。食物を保存しているうちに微生物を使った発酵が生まれたのは内包が外延に転化した例である。外延と内包のバランスがうまく保たれた時私たちは技術を本当の意味で享受出来る。そのバランスを求めて外延は内包を生み、内包は外延を胚胎する。外延と内包の果てしない連鎖が技術の系譜を作っている。
私たちが技術と言うときには無意識のうちに外延の技術を指す場合が多い。機械工学や電気工学、応用化学などの伝統的な技術は外延を主な動機として生まれた。これらの技術の基盤は自然科学の応用にあると言ってよい。武谷氏の技術の定義は実は技術全体ではなく外延技術の定義であった。
内包技術が目に見える形で現れたのは19世紀の後半である。それより一世紀前に起こった産業革命では技術の外延が突出した。社会が消費する物質とエネルギーの総量が一気に増し、それに技術の内包が追いつけず社会に大きな緊張が生まれた。ベニガ−はこれを「制御の危機」と呼んでいる(Beniger,1986)。これを解決するために19世紀後半から通信技術とオートメーションが内包技術として登場する。20世紀に入ってからもこの二つの技術は進み、やがて登場した計算機によって両者が結びついたのがIT(情報技術)である (Kimura, 2002)。ITは長期的には産業革命以来の外延の広がりに追いつくための内包の切り札であり、短期的には集積回路という外延に対応する内包でもある。バイオテクノロジーやナノテクノロジーは外延の要素が強いが、ソフトウェア、システム統合、ネットなど産業界のキーテクノロジーはいずれも内包を向いている。そして現代は内包が外延を制約する時代である。倫理の問題が環境、生命、情報などの分野で深刻化していることはそのあらわれである。

3.横断型科学技術とそのダイナミズム

技術の外延が自然法則を基礎に広がるとすれば、内包は論理を基礎に高まる。技術の外延の強さが自然に切りこむ深さにあるとすれば、内包の強さはその普遍的な広がりにある。外延の基礎が自然科学にあることはすでに述べたとおりであるが、それでは内包を高める技術の基礎はどこに求められるだろうか? 技術の内包を支える学問として情報学、モデル学、制御工学、設計学、システム論、認知科学、工学倫理の7つを挙げたい。これらの分野は伝統的な工学のどれにも属さずしかもどれもがこれらの学問を必要としている。これらを「横断型科学」とよぶ。横断型科学こそが内包技術の基礎である。
中根千枝氏によればわが国は「たて」に統合される傾向をもつ社会である。それを技術の世界に写像すると、機械工学、電気工学などの伝統的な分野に囲い込まれてキャリアパスをたてに生きる技術者の姿が浮かび上がって来る。これらの伝統的な規範を横断型に対して「垂直型」と呼ぶ。わが国では技術を縦に深耕すること、つまり製品の性能をあげコストを下げるタイプの技術が得意である。だからこそわが国の生産技術は世界のトップに立てた。しかし今や技術の舞台は大きく回っている。内包が主役を演じる現代の技術で主導権を握るには、内包の基礎となる横断型科学に強くなる必要があることを以下に示そう。
最近は科学技術の問題がこれまでよりも広い文脈で生じることが多くなった。例えばゲノム科学では分子生物学の背後に情報や制御の問題が浮かび上がっている。そのような複合的な問題を解決するためには異なる分野の専門家の共同研究が欠かせない。昔は「学際研究」という言葉でこのような協力が表現されていた。最近ではアカデミックな研究だけでなく企業の研究開発やシステム構築でもこのような協力が必要になることが多くなった。「ソリューションビジネス」の急成長はこのことを示している。現代の「学際研究」の特徴は、問題解決のレベルが上がっただけでなく問題を解決しながら新しいコンセプトと解法を創出し次の問題を生み出していくダイナミズムにある。ギボンスが「モード論」として定式化を試みているのはこのような新しい学際協力の姿である(ギボンズ、1997)。ギボンスは触れていないが、学際協力のこのような目覚しい進化をもたらしたものが横断型科学である。新しい学際研究では垂直型をたばねた横断型の普遍性が強力なツールとなって新しいダイナミズムを生み出しているのである。
ひとつの例をあげよう。ジェット旅客機はおそらくもっとも開発費がかさむ商品である。新しい旅客機の設計は普通モックアップと呼ばれる実物大の模型を作っては壊す手直しを繰り返して行う。1995年に就航したボーイング777は、モックアップなしで作られたことで一躍有名となった。機体や部品(300万個あるといわれている)の設計は内装を含めてすべて計算機の中のモデルを使って行われた。その結果最初のテスト飛行でエンジンの停止実験が出来るほどの成功を収めたという。これは計算流体力学、材料工学、加工などの垂直型の技術と、設計学、制御工学、最適化などの横断型の技術が3次元CAD(計算機援用設計)を主要なツールとして理想的に結びついた成功物語である。

4.「融合」を設計する

この新しい流れがわが国では「融合」という言葉の流行を生み出した。「融合」の名を含む研究組織、研究プロジェクト、学会の催しは最近では実に多い。「文理融合」には行政も力を入れている。異なった分野が溶け合って新しい分野が出来ることを意味する「融合」は魅力的な言葉である。しかしわが国で「融合」を実のあるものにするには2つの壁がある。
わが国は学際研究が昔から苦手である。すでに述べたように縦に統合される傾向が強いわが国では、研究コミュニテイの中で長老、中堅、若手など研究者の「格付け」がうるさく、別々のコミュニテイに属する研究者同士の学問的な交流の障害となる。また日本の社会が一元的な価値の体系を持たない「内部規範社会」(市川惇信、2000)なので、それぞれのコミュニテイのもつ価値が交換可能でない。これが第一の壁である。
自動車や家電製品などの工業製品を軸に業界と行政官庁がたての系列で強く結びついている垂直型の分野に対し、製品も業界も持たず「論理」だけが武器の横断型は現状では発言権はゼロに等しい。言いかえれば行政からは「見えない」部分である。すでに見たように欧米では横断型科学の進歩が自然に融合を引き起こした。融合にはなくてはならない横断型が見えないのである。これが第二の壁である。
これらの壁を克服して融合の実を上げる仕組みを作ることは難しい。欧米では見られない融合という言葉の流行は融合がうまく行っていないことを示している、という皮肉な見方もないわけではないが、融合を設計するための経験とツールが欠けているのは確かである。いきおい「違う分野の研究者に問題を共有させれば何か新しいものが生まれるだろう」という楽観論に頼りがちとなる。枠組みやツールを予め与えることは研究者の発想を限定するおそれがあるのですべきではない、という極端な考え方すら意外に根強い。枠組みもツールもなしに新しい問題を解けというのは社交ダンスの名手にスケートなしにフィギュアダンスを踊れと言うに等しい。
融合を推進するには横断型を強化するしかない。欧米が意識せず作り上げて来た図1のような垂直と横断の二次元構造を、わが国では意識的に作り出す必要がある。両者の交差点をなるべく多く作り、そこで横断型は自らの普遍性を自覚しつつ個別技術に切りこみ垂直型は広い視点から横断型を受け入れる、これが融合の設計原理である。2次元構造のなかで融合はいきいきと根付く。吉川弘之氏により提唱されすでに一部実施されている「俯瞰型研究」(吉川弘之、2000)は先進的な発想であり、技術を縦軸に人間を横軸にした2次元構造と読むことが出来る。図1の二次元構造にさらに人間を第三の軸に設定した3次元構造によって「俯瞰」が完全な形で実現するのではないだろうか。

5.横断型技術は何をもたらすか?

現代技術が自然科学だけでなく横断型とよばれる自然科学とは異なるもうひとつの科学にも基礎をもっており、そこにわが国の弱点があることを述べてきた。ソフトウェアの分野でわが国が欧米に水を開けられてしまったことはこの弱点のひとつのあらわれである。しかし弱点はそれを意識しさえすれば強みに転化出来ることはこれまでの技術の歴史が教えるところである。
まず、現在わが国で重点分野とされている「環境」「情報通信」「バイオ」「ナノ」に横断型を核とする研究者のグループを配置することである。横断型のひとつである制御を例に取れば、これを「環境」と交差させればこれまでの環境予測から一歩踏み込んだ「環境の制御」という巨大なテーマが生まれる。ちなみに30年前のベストセラー「成長の限界」(ダイヤモンド社、1972)は環境の制御が必要であることを立証した古典的な名著である。「バイオ」との交差点では「細胞から脳まで生物の制御が進化してきた原理を明らかにする」という生命現象の本質にかかわる新しいテーマが生まれる。「ナノ」については「量子力学に従うシステムを制御する理論の確立」というテーマが直ちに浮上する。これはすでに欧米では活発に研究されているが、わが国では研究者がほとんどいない。このようなテーマをやろうとしても科学研究費の配分の機構が縦割りなので申請すること自体が難しいのである。制御だけではない。「モデル」についても同様である。データからモデルを構築する深い理論をモデル学はすでに確立している。これらを例えば地球環境モデルに体系的に用いれば、モデルの精度も大幅に上がるのではないだろうか?このように意識的に図1の構造をインフラとして実現することによって、成り行き任せの欧米よりもすぐれた「融合」を設計することが出来る。
横断型の研究者にとって横断型が垂直化して細分化への道にはまりこまないように気をつける必要があるが、そのためには方法や枠組みの普遍性を強く意識し続けなければならない。もし横断型の研究者がアイデンテイテイを保ちそのツールを鍛えるための研究組織があればこの目的は達成される。学会連合に支えられたこの組織が垂直型と共同研究する横断型研究者の司令塔となれば重点4分野が共通の基盤をもつので、相互に波及効果や相乗効果も期待できる。私たちはこのような組織として「横断型科学研究センター」を設立することを提言で要望している。
横断型はすでに述べたようにその基盤が論理にある。横断型の役割が強化されればわが国の技術に論理の筋金が入る。これまでわが国の現場でまかり通っていた理屈嫌いの技術者や実現性に乏しい夢ばかり追う研究者は通用しなくなる。キャッチアップの時代をとうに過ぎたわが国の技術で頼りになるのはしっかり筋の通った論理以外にはない。
横断型は個別の技術を「人間」という一段高い立場から評価する。技術に高い倫理が要求されている現在、技術を社会に調和させることこそ横断型の最大の使命である。
本稿の内容は学問論としても政策論としても未熟である。今後設立が予想される横断型科学の学会連合で活発に議論されることを期待したい。

参考文献
武谷三男:弁証法の諸問題、理論社、1947
市川惇信:暴走する科学技術文明、岩波書店、2000
吉川弘之:科学分野の改革(世界科学会議の基調講演)、学術の動向, 2000年4月号
J.R.Beniger, The Control Revolution, Harvard Univ. Press, 1986
M.ギボンス:現代社会と知の創造、小林信一監訳、丸善、1997
H.Kimura: IT as an Ultimate Tool for Control, William Mong Distinguished Lecture, The University of Hong Kong, 2002 (http://www.crux.t.u-tokyo.ac.jp/~kimura/参照)
*)計測自動制御学会、システム制御情報学会、精密工学会、日本ロボット学会、
日本ファジィ学会、ヒューマンインタフェース学会、日本バーチャルリアリティ学会、人工知能学会、スケジューリング学会、日本植物工場学会、
日本オペレーションズ・リサーチ学会、日本リモートセンシング学会